その日の寝醒めは最悪だった。

(……なんや甘ったるい)
布団をかぶり直して深くもぐり、もう一度眠りにつく。
夢を見た。

チョコレートが多めのお菓子の城。
そこから出てきたのは、ちょうちんブルマと白タイツの慈郎。
ちょうちん袖にビラビラのブラウス。頭には、ご丁寧に小さい王冠も乗っかってる。
腰には剣をさして、凛々しく、大きなふわふわの羊に跨っていた。


…………。

己の想像力の貧困さと夢見の悪さに打ちのめされながら、今度こそ起き上がる。
これ以上眠るのは無理だ。
布団を深くかぶっても、どうにも誤魔化しようのない殺人的なチョコレート臭と元凶である人物と対峙する覚悟を決め、キッチンへ向かう。

「あれ、起きたの?おはよう」
「起きたの、やあらへん!朝っぱらから、ひとの部屋で何してんねん!」
「チョコ作ってんの。心配しなくても、忍足にあげるよ」
寝起きの低い声で凄んでみたが、効果はまるでなく、とびきりの笑顔で切り返された。
「だいたいどっから入ったんや。鍵閉めて寝たはずやのに」
「窓のカギ開いてたよ。わざとじゃないの?無用心だなあ」
それを利用した侵入者に心配顔をされ、釈然としない。
「あんなとこから入ってこれるの、ジローくらいや」
「だから。わざとじゃなかったの?」
単純に閉め忘れただけだったが、そう言われてしまえば、いまさら否定する方がわざとらしくて反論の余地はない。結局墓穴を掘っただけだった。
「そんなことより忍足、ちょっとこっち来てよ。味見さしてあげる」
「……遠慮するわ。甘いの好きやない」
「大丈夫!忍足用に甘くないチョコにしたから!ほらほら」
手招きする慈郎に引き寄せられ近づくと、一瞬の衝撃のあと、左の視界が赤く染まった。
――!?
「な、な、なんやの!!?」
咄嗟に無事な右の視界で確認すると、目の前の慈郎は、そ知らぬ顔で親指を舐めている。
とりあえず眼鏡を取ると視界は戻るが、目にした光景に絶句した。

眼鏡の左のレンズに、思い切りチョコレートが塗りつけられていた。

その仕打ちの意味が分からず、呆然と慈郎を見る。
「忍足、冷蔵庫にあったチョコムース知らない?」
さっきと同じはずの笑顔が怖い。
(もしかして慈郎怒ってる?)
「ねえ、知らない?」
「え、えーと。チョコムース……?知らんよ。そんなんあったん?」
目を逸らすと、手から眼鏡を抜き取られた。つられてジローの方を見る。
「おしたり、俺の目を見てもういっかい」
「し、しらん」

ベシャ

悲惨な音を立てて、眼鏡が落下した。チョコレートの溶けた鍋の中に。
「俺、嘘つかれるのがいちばん、きらい」
ニコリと、音の聞こえそうな満面の笑みで慈郎が言う。
「……。ごめん、ジロー。チョコムース食べた」
なんで嘘なんかついたのか、自分でもわからないけれど、ついてしまったものは、もう取り返しがつかない。
「別に、食べたならいいんだ。もともと忍足と食べようと思ってたし。で、誰が食べたの?」
「……こないだ岳人が来たときに」
「ふうん」
慈郎は、もう関心などないかのように気のない返事をする。
無表情で素手を鍋に突っ込んで、落とした眼鏡を拾う。
「忍足ってさ、いつもは慎重でソツがないのに、たまに無防備に浅はかだよね。なんですぐバレる嘘をつくかなあ」
言われた言葉がグサリと刺さる。
「そういうとこ、嫌いじゃないけどムカツク」
自業自得すぎて返す言葉もない。
合わせる顔がなくて下を向いていると、慈郎の声音が急に柔らかくなる。
「忍足って、面と向かって図星を指されると、何でもないふうを繕うけど、内心は死にそうなほど自己嫌悪して凹むでしょ」
無造作に返された眼鏡は、見事にチョコレートでコーティングされていた。
「そういうとこは、好きだよ」
やはり同じ笑顔だけど、さっきまでの威圧感はない。
「俺は、おまえのそういうもの言いがキライや」
悔しくて、負け惜しみでもなんでも言っておかなければ気が済まない。
「そんな表情でそんなこと言っても説得力ないよ、忍足。はい、あーん」
至近距離から唇をこじ開けられ、無理矢理チョコまみれの指を突っ込まれる。
しかたなく慈郎の指に付いたチョコを舐め取った。
(ほんまや。甘くない)
「甘くないでしょ。忍足のために作ったからね」
指に残ったチョコを舐めながら、ジローが言う。

「そのチョコ、芸術的だと思うけどな」
慈郎の視線は、まだ固まっていないチョコレートでベタベタな手の中、眼鏡型のチョコレートを指す。
確かに同感だったが、被害者としては楽観的に構えてばかりもいられない。
笑いそうになる口元を引き締めて、わざと声を低める。
「これどないすんねん。絶対匂い取れんやろ。こんなんかけたら胸焼けするで」
「もったいないから、俺が舐めてあげようか」
伸ばされた手を反射的にはたく。
「あほか!!こんなん口にいれるんやない」
チョコの残り香だけでも厄介なのに、舐められなどしたらたまらない。
(かけなあかんほうの身にもなれ)
「いってえ!ちぇ。おぼえてろ」
慈郎は捨て台詞のようにそう言って、くるりと鍋の方を向いてしまった。
とにかく、この甘ったるい指と眼鏡をなんとかしようと洗面所へ向かう。
少し迷ったが、眼鏡には石鹸を使わずにお湯を出してよく擦った。下手をすると強い香り同士がぶつかり合って、大惨事になりかねない。
水を拭き取って鼻を近づけてみる。やはり消えないチョコレートの匂い。しばらくは続くだろう。
けれど、いつかは必ず消えてしまう。
そんな刹那的な永遠のような矛盾だらけの甘さが、いまは少し心地よい。

「忍足、忍足」
洗面所から出ると、再び慈郎の手招きに引き寄せられる。
「なん?」
「チョコ、ついてる」
素早く伸び上がった慈郎の顔がぼやける。
唇に濡れた感触。
慈郎の高い体温で溶けたチョコレートは、気のせいか、さっきよりも甘かった。
……気のせいだろう。




2004-02-14







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忍足の眼鏡を汚してやりたい、ただその欲望にだけ忠実に書きました。