部室のドアを開けたら、特等席のソファに先客がいた。

ドアを開けた音に反応しないということは、意識がないらしい。
慈郎は、ひとの顔を覚えるのが苦手で、テニス部員も全員把握していない。
数が多すぎる上に、興味がない。
跡部ならひとりひとりの出席番号から学力順位まで、学校関係のデータはすべて頭に入っているだろう。
けれど慈郎だってレギュラー部室にいる部員ならば、さすがに後ろ姿でも誰だかわかる。
彼がこんなところで寝ているのは珍しい。
そもそも家でも外でもどこででも、彼が寝ていて慈郎が起きているというケースはほとんどない。
慈郎はそっと音をたてないように歩いて、ソファの前へ回った。
忍足は、広いソファの端っこに座ったまま眠っていた。

忍足は端と最後尾が好きだ。
教室の席でも真ん中は落ち着かないと言う。
自分の部屋に居てもいつも隅のほうで何かやっているし、ベッドで寝る時も布団の端で大きな体を丸めて眠る。
人混みを嫌うくせに、行列には並びたがる。

慈郎は忍足の前にしゃがみ込み、眠っている顔を覗き込む。
忍足は眼鏡をしたまま寝ていた。下を向きっぱなしだからか、眼鏡が少しずり落ちている。
外した方がいいかなと、ちょっと考えてから、まあいいやと、放っておくことにした。
忍足の膝に乗っていた邪魔な本をポイと床に落とす。
慈郎は、ソファの空いてるスペースを有効に使い、忍足の脚を枕に寝っ転がった。
起きるかなと思っていたが、忍足が目を覚ます気配はない。
後頭部を下にして目を開けると、俯いている忍足の寝顔がすぐ近くにあった。
こんな機会はめったにないし、せっかくだからじっと凝視する。
忍足は規則正しい呼吸を繰り返し、静かに眠っている。
慈郎はその寝顔を眺めながら、ぼんやりと考える。

刷り込みって人間にも有効なことがあるらしい。

忍足が起きたときに最初に見るものを好きになればいいのに。
そう考えたら、そうなるような気がしてきた。
(忍足、早く起きないかな)
慈郎は瞬きする間も惜しんで、息を潜め、忍足の目蓋が上がる瞬間を待つ。
だけど、待つのは得意な方じゃない。すぐに痺れを切らし、手を伸ばす。
頬に触っただけでは起きなくて、そのまま抓ってみた。最初は軽く。段々と力を込める。
忍足は、ぐっと眉を顰めたかと思うと、やっと目を開いた。
「……痛」
寝起きで痛覚も鈍くなっているのか、結構力を入れたのに、反応が薄い。
慈郎は、念のため頬に伸ばした手でそのまま忍足の顔を固定する。
すると、意図したとおりに、目の開ききった忍足と慈郎の視線がバチリと交叉した。

瞬間、忍足がもの凄い勢いで身体を仰け反らせた。
「うっわ!」
急に動くものだから、さらに眼鏡がズレる。
慈郎は、予想外の大きなリアクションに驚いた。
頭を乗せている脚も一緒に動いたものだから、忍足の腿で頭を打った。
「痛ー!なに。どうしたの、忍足」
忍足は、ズレた眼鏡を直しながら体勢を整える。
「こっちのセリフやろ!何してるんジロー!ビックリするやん!」
忍足の心拍数が早い。それは、驚いたからだけだろうか。
もしかしたら、うまくいったのかもしれないと、慈郎は前向きに考える。
寝っ転がったまま、目をくるりと動かし、忍足を見上げた。
「ねえ忍足、俺をスキになった?」
唐突な質問に、慈郎を見下ろす忍足が怪訝な表情になる。
「はあ?なんやの、一体」
ハテナマークを飛ばす忍足にお構いなしに、慈郎は話を進める。
「ほら、スノウホワイトだってスリーピングビューティーだって、目が覚めて最初に見たひとを好きになるじゃん」
あれは、その人が王子様だからじゃないんだよ。
「おまえ、この場合にその例えはないやろ……。サムイ……」
やっと覚醒仕切った忍足は、慈郎の思考回路は理解できないものの、言いたいことは大体理解した。
「なんだ、残念。ま、いーや。忍足起きたんなら、俺寝るから」
慈郎は、一方的にひとを起こしておいて、実に身勝手に言い放つ。
「このまま寝るんか?重いんやけど。どきや」
忍足は、言っても無駄なことを知りつつ、一応言ってみる。
当然のように慈郎は、それを無視して目をつぶった。

忍足は笑うけど、生き物の神秘を馬鹿にしちゃいけない。
刷り込みだって捨てたもんじゃない。
クジャクがゾウガメに求愛することだってあるんだ。
それに比べたら。
(俺の未来は明るい)
何度でも、チャレンジするから。
刷り込みと繰り返し学習は、効果的だってこと。いつか証明してあげよう。
覚えてろ、忍足。



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忍足は、眠ってしまった慈郎を動かさないように、慎重に床へ手を伸ばし、落ちていた本を拾った。
本を読みながら、慈郎が起きるのを待つことにする。
大人しく枕になってやる義理はなかったが、眠って起きたときに、いるはずのひとがいないのは、淋しいだろう。
忍足は視線を落とし、慈郎の柔らかい髪に手櫛を通す。
ふわふわとしたこの髪の感触が好きだった。

忍足は色のない夢を見る。
その夢自体も滅多に見ないけれど。
眠りは、白でも黒でもなく、苦でも楽でもない。
ただ、眠らないことにはどうにもならないから、眠る。
自室も無彩色だから普段目が覚めるときに違和感はない。

だから、突然飛び込んだ鮮やかな彼の髪色に驚いた。

色のない世界が一瞬で色づいた。
不思議と眩しくはない。
驚いたけれど、嬉しかった。
起きたときに慈郎が側にいたことが、なんだか嬉しかった。

(スキになったか、やて)
随分と可愛いことを言う。忍足は、開いた本越しに笑った。
(そんなん今更や)





HAPPY BIRTHDAY!! dear 芥川慈郎
2005-05-05







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さすがに誕生日ネタが尽きてきたので、記念SSは、誕生日を祝う気持ちで書いたただのSSに成り下がりました…。
誕生日サービスで普段より甘め。>当社比