10月も半ばになり、秋が深まる。すっかり日が短くなった。
最近は、下校して部屋にたどり着く頃には、既に世界は闇に包まれている。
今日も人工の光を頼りにここまで歩いてきた。
忍足は部屋のドアを開け、照明のスイッチに手を伸ばす。
その腕をなにかに掴まれた。
「ひっ!?」
ほとばしるはずの悲鳴は、さらに横から伸ばされた手によって押さえ込まれた。
忍足がパニックに陥る寸前、よく知った甘い匂いが鼻をかすめる。
同時に、耳元の空気がやはりよく知るパターンで振動した。
「忍足、おかえり!!」
いま心臓は、止まってしまうのではないかと思うほど、激しい鼓動を打っている。
(こんなんされたら、しゃっくりも止まるわ。出とらんけど。)
忍足はまず抗議をしようと、口にまわされた手をはぎ取る。
「ジロー!!アホか!心臓止まるわ!おまえ何してんねん!」
慈郎のいるはずの方向に見当をつけ怒鳴ってみるが、暗くてよく見えない。
とりあえず電気をつけようと、もう一度手を伸ばす。
が、腰が抜けているせいで、すぐに動けない。
モタモタしているうちに、伸ばそうとした手をもう一度掴まれた。
「電気つけなくていいよ。暗い方がよく見えるじゃん」
「わけわからんこと言うな。俺は見えん。つけるに決まってるやろ」
忍足は気合いを入れて立ち上がり、今度こそ照明のスイッチに手をかける。
鈍い起動音をたてて、蛍光灯が部屋を照らした。
そこに照らし出された光景に、忍足は眩暈を覚える。

今朝、この部屋を出るまでは確かに自分の部屋だったはずなのに、いま目の前の空間は、ほぼ記憶の中の原型を留めていなかった。
「なんやの、これ」
ここまでやられると、いっそ怒る気も失せる。
「なにって、パーティーだよ、パーティ!忍足のお誕生日会!」
壁面は、紙で作られた輪っかやら、花やら、金銀のモールやらで、ごっそり飾り付けられていた。
なぜか部屋の真ん中には、クリスマスツリーが置かれ、これにもしっかり飾り付けが施されている。
極めつけに、天井からくす玉が下がっていた。
忍足の視線に気づき、慈郎が嬉しそうに口を開く。
「あ、それね!今日テレビで作り方やってたから、作ってみたらできた!スゴイでしょ。トクベツに、忍足が割ってもいいよ」
「へえ。よくできたなあ。ってアホか!おまえ、学校にも来んと、こんなん作ってる場合やないやろ!」
「だって、忍足の誕生日だよ?俺が祝ってやんなきゃ。忍足友達いないじゃん。ちぇ。そんなこと言うなら、割らしてやんねーよ」
「いらんわ。つうか、余計なお世話や」
否定はできないところが苦しいが、面と向かって言われて、気分のいいものでもない。
「なんだよ、あれ下げるの大変だったんだから!椅子に乗っても届かないから、その上に本重ねてやっとつけたんだよ!いーよ、俺が割るもんね」
慈郎の指さす先には、確かに椅子の上に本が重ねてある。
(ん?いま、あれに乗ったって言うたか?)
近づいて確認した忍足が鬼の形相で慈郎を振り返る。
「ジロー!なにさらすんじゃ!ボケ!これは、絶版本やて何回言わせるんや!」
ご丁寧に一番上に配置されている本を指して忍足が言う。
「いいじゃん別に。減るもんじゃないし」
もちろん慈郎は、そんなこと百も承知の上。忍足の小言などどこ吹く風。
「そんなことより、ケーキ食べよう!ケーキ!」
まだ何かブツブツ言っている忍足をほったらかして、慈郎は冷蔵庫へ駆け寄る。
忍足が回収した本を丁寧に本棚にしまってから戻って来ると、部屋の中心にあるテーブルの上に丸いケーキが乗せられている。
チョコレートケーキなのは、明らかに慈郎の好みだろう。そのケーキに慈郎がなにかごそごそやっていた。
忍足は、諦めてテーブルにつこうと思ったが、それにはまだ障害物があった。
「なあ、なんでクリスマスツリーなん?」
「ああ、どうせなら派手な方がめでたいと思って。そこの物置にあったやつ、出してきた」
忍足は、いちいちつっこむのも疲れるので、黙ってその邪魔なツリーをどかした。
やっと座って机を見ると、ケーキにはろうそくが15本、きれいに円を描いている。
「こんなでかいケーキどないするん?なんでろうそく立てるん?なんかの儀式か?」
「忍足、バースデーケーキ食べたことないの?」
「……見たことはある」
忍足は、洋菓子好きが周りに乏しい環境で育ったものだから、昔からケーキを口にする機会は少なかった。
自身も特に好きでもないので、実は丸いままのケーキの実物をガラスを挟まず目にするのは初めてだった。知識としては知っている。
「お誕生日会とかしたことないんだ?昔から友達いないんだね」
「うるさい。俺は硬派な家で育ったんや。それに、友達云々の話をジローに言われたないわ」
確かに慈郎も友達が多いとは言えない。何事にも執着しないその性分故に。
逆に、忍足は執着しすぎる己の性分を自覚しているからこそ、あまり多くの他人に深入りしないように気をつけている。
「俺はいいんだよ。忍足がいれば、それで」
甘い睦言とも適当な誤魔化しとも取れる、そのセリフに、忍足は慈郎の真意を図りかねて戸惑う。
「はあ、そらおおきに」
その間もずっと動いていた慈郎の手が止まった。

「よし!できた」
勢いよく立ち上がり、部屋の入り口まで駆けていく。忍足に尋ねる間を与えず、パチンと照明のスイッチを切った。
暗闇の中に火を灯されたろうそくが15本、浮かび上がる。
「忍足!お誕生日おめでとー!!」
闇を苦にせず、一直線に戻ってきた慈郎が呆けている忍足を覗き込む。
「忍足、願い事した?したら、吹き消して」
「吹き消す?」
「そう、吹き消すの」
「そんなことしたらあかんよ」
「は?」
「ジロー知らないん?ろうそくの火吹き消したら、寿命縮まってしまうんやで。そんなことしたらあかん」
(……そうきたか)
忍足は、迷信やら言い伝えやらをやたらと信じている。
そんなもの信じる以前に興味もない慈郎は、忍足との会話に頻繁に持ち出されるそれらに正直、うんざりしていた。
(ほんと、これで理系だとかいうんだから笑うよな)
「なに言ってんの。寿命なんて毎日縮まってるじゃん。今日だってひとつ歳取ったんだし、そんなの今更だよ」
慈郎は少しイライラして、思ったままの言葉をストレートにぶつける。
「今更て」
忍足の表情が揺れた気配に、慈郎は言ってしまってから自分の言葉をほんの少し後悔した。
「あ、ほら。願い事が叶うんだよ!縁起物だし、いいじゃん。忍足こういうの好きだと思ったんだけど」
なるべく忍足の機嫌を取りなすように言い直す。
それでも動かない忍足に、気の長い方ではない慈郎が先に動いた。
「もう!どうせこれ俺が食べるんだから!ロウがたれたとこは不味いんだよ!いいよ、俺が消す!」
「ジロー!!」
驚いた忍足の制止も届かず、慈郎はためらわずに一息で全ての炎を吹き消した。
次の瞬間、訪れた深い闇に鈍い音が響いた。

ゴンッ!!

慈郎は、咄嗟に自分の身に何が起きたか把握できず、声も出ない。
ただ、後頭部が猛烈に痛い。そして息が苦しい。
それでも回復は常人よりは遙かに速く、数秒後には回転を取り戻した頭が正確にいまの状況を捉えた。
「ったー!何すんだよ!そんなに消したかったんなら、早く消せば良かったじゃん!」
ほぼ手加減なしに、襟元を締められ、床に押しつけられれば誰だって怒鳴りたくもなる。
未だ弛まない力に、忍足を睨みつけたはずの慈郎の視界で、星がまたたく。
不意の光があまりにキレイで、思わず苦しさも忘れ、その光に見入っていた。
こんなに、近くで星を見るのは初めてで。瞬きもせず、じっと見つめる。

つと、星が流れた。

(冷たい。……知らなかった、星って冷たいんだ)
頬に受けた冷たさに、靄のかかっていた思考が一気にクリアになる。
(ろうそくを吹き消すと、寿命が縮まる?)
辿り着いたのは、ひとつの可能性。
「忍足。ねえ、忍足」
返事は、ない。
「俺は、死なないよ」
いつの間にか、力の抜けている忍足の腕をはずし、慈郎は起きあがる。
「ねえ、聞いてる?こんなことで死んだりしないよ。相変わらず、思い込み激しいよね」
「うっさい。そんなこと思ってへん」
「ふうん。それでも、俺は、忍足を置いて死んだりしないよ。憶えておいてね」
そう言った慈郎の言葉がストンと胸に落ち、そのままやわらかいなにかがそこに残る。忍足は、いま自分がどんな表情をしているのかわからない。
部屋が暗くて良かった、とぼんやり考えた。

忍足に体勢を立て直す充分な時間を与えてから、慈郎は、立ち上がり電気を点ける。
「忍足、ケーキ切って」
忍足は、なんで俺がと思いつつ、四分の一を自分に、四分の三を慈郎に切り分け、黙って差し出した。
「なあ、ジロー」
「ん?なに」
呼びかけに顔を上げた慈郎を見て、忍足はむせた。
「おまえ、チョコレートだらけやんか。ちゃんと食べ」
ティッシュで口の周りを拭いてやりながら、忍足は、まあいいか。と独りごちる。
「なにが。あ!わかった。やっぱり、くす玉割りたいんでしょ。しょーがねーなぁ、いいよ。トクベツだかんね!」
その笑顔に毒気を抜かれる。
「ちゃうわ。いらんつうに」

結局、飲み込んだ言葉。

――俺の誕生日、おとといやってん

(気持ちは嬉しいし、せやな、そんなこと小さいことやわ)
少し遠い目をして、忍足はそう自分に言い聞かせた。




HAPPY BIRTHDAY!! dear 忍足侑士
2003-10-15






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忍足のアイデンティティは、根本的に不憫なところだと信じています。
慈郎は、数字を覚えるのが苦手なんです、忍足の誕生日がどうでもいいというわけではありません。