秋の空は高く澄んで、晴れ渡った青空は深く青く、浮かんだ白い雲とのコントラストが眩しい。
昨日までの雨模様が嘘のように晴れ上がった。
夏のような照り返しはなく、空気は乾いて風は涼しい。
こんな日に外で寝ないのはもったいない。
芥川慈郎は、教室の窓から青い空を見遣り大きく伸びをした。
秋晴れは、実は結構貴重なものだ。
秋の天気は不安定で、秋の長雨という言葉があるように、実際に崩れることが多い。
例え晴れたとしても、冬の準備を始めた季節は急ぐ脚を止めることなく、油断しているとすぐに日は沈んでしまう。
せっかくだから少しでも空に近いところへ行きたくて。屋上へ向かおうと教室を出た。
「忍足君……」
廊下を歩いていると、ふと耳に入った単語に、慈郎は足を止めた。
咄嗟に声の出元を探して目を彷徨わせるが、廊下にはそれらしい人影はない。
次に聞えたのは、聞き違えるはずのない声。
今度こそ迷いなく、開いていた廊下の窓から下を覗き込む。
果たして、窓の下の校舎裏に忍足がいた。
「おおきに」
そう言ってへらりと笑った忍足が、女の子から何かを受け取っているところだった。
(ふうん)
忍足に目をつけるなんて、マニアックだなあの子。
(だからこそか)
その目のひたむきさに、少し圧倒される。
女の子は受け取ってもらえたことに満足したのか、笑顔で立ち去った。
慈郎は、ひとりになった忍足に声を掛ける。
「おしたりー。忍足ー!」
2階の高さは地上からそれほど遠くはなく、大きな声を出さずとも忍足に届いた。
声に反応して、上向いた忍足がまたへらりと笑う。
「なんや、ジロー覗き見か?」
「うん、いまの娘けっこうかわいかったね」
「せやな」
忍足の声は穏やかで普段と変わらず、そこから感情を読むのは難しい。
「なあ、忍足!屋上行こうぜー」
そう誘えば、忍足は、一度慈郎から視線を外して空を見る。
忍足が居る校舎と校舎の間には陽は射していないが、細長く切り取られた青空が見えるだろう。
「ええよ。いい天気やしね」
忍足の答えを聞いて、慈郎はふわりと笑う。
「じゃ、先行ってるかんね!早くね!」
はしゃぐ慈郎に忍足も笑う。
「あいよ」
屋上に先客はおらず、授業開始が近いことを知らせていた。
慈郎は、中庭が見下ろせる場所まで歩き、屋上を囲っているフェンスを掴んだ。
手入れの行き届いた庭は、俯瞰しても美しく、生い茂った緑の中にところどころ色づきが見られる。
緑から黄色へと変わりつつある並木、夏の名残を留めるピンクの花、広場の花壇には、弾ける種子を孕む赤い花と甘い蜜を孕む赤い花が咲き競っている。
そういえば、忍足と最初にちゃんとした会話をしたのは、あの中庭だった。
ここからは見えないけれど、裏門に近い中庭の果て。
あの時、「おおきに」と鮮やかに笑った忍足に目を奪われた。
これは後から気づいたことだけど、忍足は、無自覚に笑顔を使い分ける。
忍足は普段から、へらりとした笑顔をよく浮かべる。それは、忍足の社交術としての手段。
作り笑いだとは言わないが、あれは、癖のようなものだと慈郎は思う。
本当に嬉しい時には明らかに表情が違い、その笑顔からは目が離せない。
とても柔らかく印象的に笑うのだ。
本人は無意識だからそうそう見られるものでもなく、その希少価値も相乗効果に一層際だたせる。
「なにしてるん?」
いつの間にか屋上へ出てきた忍足がこちらに歩いてきていた。
立ちつくしてフェンスの向こうをぼうっと見ていた慈郎に、不思議そうな表情を浮かべる。
「あー、忍足。遅かったね」
慈郎はくるりと体勢を変え、フェンスに寄りかかるように座る。
「ちょお、教室寄ったんや」
慈郎の隣に座った忍足は手ぶらで、さっき貰っていた包みを持っていなかった。
「あの娘、いまどき校舎裏に呼び出しなんて、クラシックな娘だね」
慈郎は特に意味も感情も込めることなく、ただ思ったことを事実のまま話した。
現場に居合わせればそれ以上の安心はない。忍足は結構わかりやすい。
「せやな」
忍足は、へらりと笑って同意する。
(ほらね、大丈夫。彼女は彼を揺さぶらなかった)
慈郎は、この話はここまでと話題を一気に変える。
「忍足、ほら、いわし雲!雨が近い」
慈郎が見上げた同じ空を忍足が隣で見遣る。
空は相変わらず突き抜けて青く、そこに雲が魚のうろこのような模様を描いていた。
「慈郎、あれは、いわしとちゃうで」
忍足の意外な言葉に、慈郎は振り向く。
「え!!そうなの!?」
「あれは、ひつじ雲や。いわしよりも低くて模様がでかいやろ」
「ひつじ!?俺、ひつじ好き!」
「ひつじの方が雨に近いんや」
「へー、そうなの。うん雨の匂いするもんね」
やはり晴れの日は長くは続かないようだ。
慈郎は、外に出てきて良かったと思った。
やっぱり貴重なものに出会えるというのは、嬉しいものだ。
彼が隣に居るということが、輪をかけて幸せをくれる。
「忍足、」
まだ空を眺めている忍足に慈郎が呼びかける。
「なん?」
忍足は、慈郎の方を向いた。
「おたんじょうび、おめでとう」
慈郎は、少し目線を上げて忍足の眼を覗き込み笑う。
一瞬後、秋の晴れ空のように、ひどく鮮やかに、忍足が笑った。
HAPPY BIRTHDAY!! dear 忍足侑士
2004-10-15
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以前「春雨夏曇」(「春雨」「夏曇」2本立て小説)っていうタイトルのジロ忍本を出したのですが、 実は、あの本「春雨夏曇秋晴」っていうタイトルの予定だったんです。
あははは。つまり、3本立ての1本落ちたんです…。
「秋晴」に関しては、まったく手をつけていなかったので、再利用というわけでもありませんが、今回のSSは「夏曇」とちょっとだけリンクしてます。言わなきゃわからない程度のさりげなさですけども。