「しーらーいーしぃ!!」
居間で本を読んでいたら、呼ばれた気がして顔をあげると、庭の窓ガラスにべとりと顔と手がはりついていた。
「ぎゃ!?」
条件反射で叫び声を上げる。びっくりした。
「しらいしぃ!」
ガラスに密着した状態で呼ぶものだから、道理で声がくぐもっている。
「金ちゃん!?」
よく聞けば、とても聞き覚えのある声で、よく見れば、とても見覚えのある顔だった。
「な、何してるん……」
まだ心拍数の速い胸に手を当てながら慌てて立ち上がり、窓を開ける。
「遊びに来てん!」
満面の笑みでそう言った金太郎は、ポイポイっと靴を脱ぎ、窓から居間へと侵入した。
「金ちゃん、遊びに来たらピンポン鳴らしいって何べん言えばわかるん?」
脇をすり抜ける金太郎に向かって、今日もまた同じ注意を繰り返す。
「やって、こっちのが近いやん」
その注意が金太郎に聞き入れられたためしはない。
確かに、金太郎の家からの道順ならば、庭から入る方がほんの少しだけ近い。
それでも遠回りと言ったって、桁外れの大豪邸でもなければ、金太郎の脚なら一分も違わないだろう。
普通ならば、こんなところで横着はしない。
けれど、金太郎はこんなところが特に普通ではなかった。
「なんや!?これ!」
居間に上がった金太郎の靴を玄関へ運ぼうと屈んだところで、背中を大声に押される。
靴を拾い上げて振り向くと、居間の中央で金太郎が忙しなく動いて座卓の周りをぐるぐる周っていた。
「コタツやけど?」
「こたつ?」
「金ちゃん、知らんの?」
「知らん」
コタツを知らないとは、想定外だった。恐るべし遠山家。
いまここにあるコタツは、つい最近買ったもので、今シーズンからの新入りだ。もちろん家になくとも、それ以前からそれを知っていた。
けれど、コタツを知らないわけがないなどという常識だと思っている先入観は、当然のようにあっさりと崩される。
金太郎と話しているとよくあることだった。つくづく恐るべし遠山家。
「ちょお待っとき」
あまり抑制力のない「待て」を形だけでも言い置いて、元通り窓を閉め、手に持った靴を処理するために玄関へ向かった。
居間へ戻ると、人の動く気配がなくなっている。
見れば、金太郎はコタツの天板に背中を預け、足を放り出して座っていた。
思わず笑ってしまった。
「ふは。金ちゃん、ちゃうちゃう」
「ん?」
首だけをこちらに向けた金太郎がキョトンと見上げる。
「ちょっと起きて」
金太郎は、完全に背中と体重を預け切った体勢から余計な力を入れることなく、ごく自然に身体を起こした。
寄りかかっていた面のコタツ布団をめくってやる。
「金ちゃん、こん中入ってみ」
「なか?」
めくった布団の中に、頭から入ろうとする金太郎を寸前で止めた。
「足、足からや」
「足?これフトンなん?ここで寝るん?」
「完全に寝てしまうんはようないけど、寝っ転がるくらいなら気持ちええんちゃう」
やったことはないから実際はわからないが、よくそういう話を謙也がしている。
「ふーん?」
首を傾げながら、コタツに足を入れた金太郎がパッと顔を上げた。
「白石ぃ!めっちゃぬくいで!」
「せやろ、ぬくいやろ」
初めてのコタツに感動をあらわにした金太郎は、肩まで布団をかぶり、潜り込む。
「金ちゃんこれな、中で熱を閉じ込めるからぬくいねんで。せやから布団はぴったり閉じとかなアカン」
肩の高さに布団がまくりあげられガラ開きになっている脇を見かね、かけ直してやると、金太郎は首を真上に上向けた。
「上さむいやん」
下から覗き込まれるように真顔で言われ、つい答えに窮した。
ただ見つめ返した先で、金太郎の瞳がくるりと翻る。
「あ!寝ればええんや」
言うが早いか、座った尻を前にスライドさせ、後ろに倒れる。
さらにもぞもぞと動き微調整をして、ぱたりと動かなくなったときには、金太郎の顎から下はすっぽり覆われていた。
布団の縁を握った指先と気持ちよさげに細められた目だけが外に出ている。
「気に入ったん?」
「んー」
「金ちゃん、寝たらアカンよ」
「んー」
あの金太郎がこんなにも大人しくじっとしているなんて、こんな平和なことがあるだろうかと、いま金太郎以上の感動をコタツに抱く。
コタツの魔力恐るべし。
(遠山家越えたんちゃう)
これなら読書の続きをできそうだと、金太郎の向かいに座って、コタツに足を入れる。
本を手に取り、開いて、入れておいたしおりを抜いた。
「あっつい!」
「え?」
でかい地声で金太郎が言い放ったのを聞き逃したわけではない。
聞き取った上で、耳を疑ったのだ。
向かいに座ったいま、寝転がった金太郎はまったく見えない。
バサーっという音と共に、視界の半分以上が陰った。
次の瞬間には、天板の上に布が着地していた。
そこで始めて、いま視界を遮ったものがコタツ布団だったということに気づく。
続いて、ガバリと勢いよく起き上がった金太郎の顔が現れた。
「めっちゃあつい!」
(ああ、短い平和やった……)
金太郎が大人しくなってからまだ五分と経っていない。
遠山家に張り合おうだなんて、どだい無謀な話だった。
コタツから出るものだと思っていた金太郎は、けれど動こうとはせず、上げた布団の上に頬杖をつく。
「……金ちゃん、暑いならコタツ出て座り。布団戻して」
「いやや」
「は?」
至極真っ当な提案が受け入れられない理由がわからない。
「白石ここにおるやん」
「おるけど……?」
布団をまくったままコタツからは出ない金太郎は、ただじっとこちらを眺める。
「金ちゃん、コタツ入るんなら、譲り合わなアカン」
このままでは埒があかない。
「たとえば家族とかどんなに親しい間柄やとしても、足が当たらないようにて気ぃつかうんがコタツや。ワガママばっかり通す子はコタツに入る資格ないで」
「ふうん」
これでも金太郎にわかるように砕いて説明したつもりだったが、当の本人は一言発しただけで、動かない。
立ち上がって無理矢理直してしまえば早いのだろうが、それでは意味がない。他所で同じことをされたらたまらない。
やってはいけないことなのだと金太郎に理解させなければ意味がなかった。
「金ちゃん、コタツは電気でヒーターつけてるからあったかいんや。せっかくぬくめてんのに、布団そんなんされたら電気代かて無駄やろ」
こんなことを言う方の身にもなってもらいたい。
金太郎が頬杖を上げる。立ち上がるのかと思いきや、再び視界から消えた。
布団は、変わらず上がっている。
「金太……ヒゃあ!?」
何かが正座している膝に当たった。驚いて、悲鳴と共に後ずさる。
それによってできたコタツとの隙間で、布団が内側から持ち上がった。
そこから現れたのは、金太郎の頭。
「き……」
呼びかけるために開いた唇は、伸び上がった金太郎のそれに塞がれた。
むぎゅう、と唇を押し付けてから離れる。それから正座している俺の脚の上にクロスさせた自分の腕に頭を乗せた。
「……金太郎、何してるん」
「白石うっさいんやもん」
ははあ、文字通り、口を塞いだ、と。
(ほんまどないやねん、このゴンタクレ)
「金ちゃん、横着せんとちゃんと立ち上がってこっちまで来いや。ピンポンと同じやで」
「んー」
金太郎は、今度は脚の上から動こうとしない。
「金ちゃん、暑いんやろ?」
半身をコタツに浸けているから背中がちょうどヒーターの下辺りにあるだろう。
「んー、ガマンする」
「ぶっ!我慢するとこおかしいやろ」
言うにことかいて「ガマン」という単語を使った金太郎に、つい笑ってしまった。
(ああ、笑ってしもうた俺の負け)
金太郎の頭を脚に乗せたまま、なるべく態勢を崩さないように、手を伸ばす。
パチリと音をたてて、コタツの電源を落とした。
2011-01-01
明けましてきんくら!
今年もどうぞよろしくお願いします!!