「海に行きたい!」
そうゴンタクレが言ったのは、記憶にも新しい昨日のことだった。
白石は、呆然と立ち尽くし、そんなことを思い出していた。

白石の斜め前には、彼以上に呆然自失と目を見開いた、顔面蒼白の男子が居る。
その前には、池があった。
河童伝説の伝わるその池のへりは、登下校の近道として四天宝寺の生徒がよく利用している。
血の気を失くした横顔の下も例に漏れず、スタンドカラーのカッターシャツ。
池の静かな水面がごぼりと鳴り、続けて広がる波紋の中心から勢いよく赤い頭が飛び出した。
「あったで!」
水の中に半身を浸けたまま、鮮やかに笑った金太郎が右手を高く挙げる。
その手の中には、派手な黄色い携帯電話があった。

「き、金ちゃん!」
そこでやっと我に返った白石が池へ駆け寄った。
「よっせ」
普段と変わらぬ様子で金太郎は、軽やかに池から上がる。
地面に立った金太郎は当然、頭のてっぺんから靴を履いたままの足の先までずぶ濡れだったが、まったく気にした風も無く、駆け寄った白石ではなくその場にもう一人居る男子へと近づいた。
「ほい」
金太郎は懐っこい笑顔で、色のない顔を覗き込む。
「壊れとらんとええけど」
差し出された携帯電話に手を伸ばすこともせず、彼は棒立ちのまま。


金太郎と白石が並んで歩いていた少し前を男子生徒は、携帯をいじりながら歩いていた。
手元ばかりに集中していた意識が足元を疎かにし、舗装されていない道が唐突に窪んだ部分に足を取られたのだろう、つまづいた彼が必死に体勢を整えるその手から、携帯電話がすっぽ抜けた。
目立つ黄色い携帯は、綺麗な弧を描いて池へと落ちる。
ぼちゃり、という無情な音が辺りに響くのと、白石の隣で金太郎が地面を蹴るのが同時だった。
一瞬も躊躇うことなく、金太郎は、池に飛び込んだ。
止める間もない。
あがる飛沫に、白石は、金太郎が行きたいと言った海を思い浮かべた。


もう一度、ぐいっと携帯を押しやり、金太郎が言う。
「せや!3秒ルールいけるんとちゃう?」
なんの反応も返らないことに、さらに言葉を継いだ。
「まあ、3秒は過ぎたかもしれんけど、30秒くらいにオマケしたってや」
にこおっと笑う金太郎の髪から滴った水滴が、彼の手に落ちる。
ようやく、笑いかけられた男子が口を開いた。 
「ご、ごめん」
その言葉に、金太郎は、キョトンとその目を見返す。
「ごめん?」
なぜ謝られるのか、金太郎にはわからなかった。

カッと、彼の頬に朱が差した。失っていた血の気を急速に取り戻していく。
その口角が緩やかに左右シンメトリーに上がる。
「おおきに」
やわらかく笑って金太郎の手から携帯を受け取った。
「かまへんかまへん!」

「あっ、タオル!」
ハッとしたように、男子生徒は、肩にかけていたカバンをごそごそと漁る。
「ええよええよ、今日も暑っついし、すぐ乾くわ」
そう言って、くるりと振り向いた金太郎は白石を見やる。
「白石ぃ行くでー」
そばへ寄った金太郎が見上げる白石の顔が真っ赤なのは、暑さのせいじゃない。
「白石?」

(アカン、めっちゃかっこええ)





2009-07-19
海に行かない海の日