★「新テニスの王子様」連載開始カウントダウンアップ5題   あと1日





「なあ、千石」

机に両肘をつけて組んだ手の上に顎を乗せた南の顔は、ほとんど隠れていてよく見えないが、唯一見えている目が据わっていた。
「なに?南」
千石は、努めて明るい声で応える。
「頼みたいことがあるんだ」
南が改まって頼み事なんて天変地異ほど珍しい。
「なになに!なんでも……と言いたいとこだけど、オレにできることならなんでもしてあげる!」
つい浮かれて返事をしてしまったことを、千石はすぐに後悔することになる。

酷い花粉症に悩まされている南をかわいそうだと見守ってはいるが、所詮かかったことのないアレルギーを想像だけで理解しきるのは難しい。
千石は、彼がこの時期どれだけ追いつめられるのか、自分の認識の甘さを痛感する。

「どっか行ってしまえ、って言ってくれないか」
マスクに遮られくぐもってはいるものの、南の頼み事は、はっきりと聞き取ることができた。
「は?」
それでも聞き返さずにはいられない。
「誰に?」
パチリと、大きく瞬きをひとつ。

「俺に」
「あ、そーだ!」
千石はパンと掌を合わせた破裂音で、淀んだ空気を変えようと試みる。
自分の鞄を漁り、中から簡単に包装紙にくるまれた包みを取り出した。
「ねえ、南も食べる?桜餅。朝歩いてたらもらったんだー、ラッキーィ」
千石は、いそいそと包みを開けて中身を南に見せる。
「ほら、道明寺だよ!南好きでしょ」
極上のラッキースマイルで懐柔作に出てみても、情けないほど手応えがない。

南は、千石をちらりと一瞥だけして、遠くを見るように瞳の焦点をぼやかせる。
「いまなんかどっかに行ってしまいたい気分なんだ」
それはきっと花粉のない世界に。もしくは南が花粉症じゃない世界に。
「勝手に行ったらみんなに迷惑がかかるだろ」
部長を任される素質でもある責任感の強さだけが、いま南を繋ぎ止めていた。
「誰かに言われたから行くっていう責任転嫁がしたい」
(ああもう限界なんだ、この子)
千石は、やり場のない感情を持て余した。

南の願いならなんでも叶えてやりたい。
その気持ちに嘘はない。

「イヤだよ!誰でもいいなら東方にでも頼めばいいだろ!」
「馬鹿言え。こんなことお前にしか頼めない」

誰かに、と言った舌の根も乾かないうちに同じ口で、お前にしか、と言う。
いまの南は正気じゃない。
「馬鹿言ってんのはどっちだよ!」
正気じゃなくても南だ。
そんなことを頼む無神経さに腹が立ち、誰でもいいという投げやりさに傷つき、お前だけだという甘さに溶かされる。
千石は、彼の全てに翻弄される己が滑稽で仕方ない。

(いっそどこかへ行ってしまえ!!)言ってしまえたのなら、楽なのかも知れない。

そんなこと、冗談でも頼まれたって言えるわけないじゃんか。












お題お借りしました  蝶の籠さま
【君に抱いた5つの感想】

3、いっそどこかへ行ってしまえ!!

2009-03-03 桃の節句