7/3 ―カレンダー上では、何の変哲もない、その特別な日に、寄せる思いはそれぞれで。
祝う側も祝われる側も、抱く感慨のようなものはあるものの、決してそれが重なることはなく、すべての思いが交錯する。


昔なら、15といえば、元服の歳で、精神的にも肉体的にも区切りの歳だったのだろう。
でも、いま、自分が15を迎える日が近づいても、そんな区切りのようなものは、一切感じない。
それどころか、昔ほど誕生日という日を意識しなくなってきている。
小学生の頃は、人並みに誕生日会なども経験し、やっぱりそれは「特別な日」だった。
きっと歳を重ねるに連れ、感動とか期待とかいう感情は薄れていくに違いない。
人は、人生にさえ慣れてしまえるのか、などと14の身空で薄ら寒いことを思いついてしまい、必死にその考えを振り払う。
そうでなければいい、と切実に願える程度の希望はまだ持っていた。


日付が7月に変わる前から、指折り数えて、待っていた日がとうとう目の前に迫っていた。
この日のために、潜伏工作は準備万端。
南は、思った通りに反応してくれるから、尽くしがいがあるよなあ。と、独りよがりと紙一重な自画自賛をして、最後の仕上げにテニス部の部員に連絡網を回す。
普段ならば、連絡網を回すのは、他でもない部長の南の仕事。
でも今回ばかりは、南以外の部員全員に知らせなきゃならないから、すべてを自分で行う。
南のためなら、これくらいの手間などなんてことない。
ひいては、自分のためであるけれど。それを認めて、一度溜め息をつく。
南が幸せならば、それはとても嬉しい。南の幸せのためならば、手段を選ばずその最善を尽くす自信はある。
だけど、その幸せの中にオレも含めて欲しい、と思うのは、我が儘だろうか。
お願いだから、側にいて。側で笑っていて。そのためならば、なりふりなど構わないから。
ほんとに、欲しいんだ、譲れないんだ。好きなんだ。
心の底から、願うよ。


千石からの、連絡網と称した電話を受け取り、内容を把握すると、携帯を切ったその手で自分の鞄の中を探る。
目当ての物はすぐに見つかった。
千石の思惑の全容は見えてこないものの、明日の主役に降りかかるであろう困難は容易に想像できた。
しかし、こればかりは助けてやれない己の不甲斐なさを心の中で謝罪しつつも、同時にご愁傷様、と心の中で手を合わせてみる。
せめてものフォローをと思い、親友への誕生日プレゼントが決定した。


そして、迎える7/3当日――


**

「おはよう、南」
「お?おう、東方。どうしたんだ?朝から」
朝から東方が来るのは本当に珍しいことで、思わずどもってしまった。
「ほら、これ。誕生日プレゼント」
手渡されたのは、フリスクの箱のような手のひらサイズの箱。

とりあえず振ってみる。カタカタと、やはりフリスクのような音がした。
鳴りかたからすると、フリスクよりも大きいもので数は少ないかんじだ。
結局得体が知れないので箱を開けてみる。上蓋をスライドさせると、中には白いカプセルが2つ入っていた。
ああ、これピルケースか……。まず思ったのはそんなこと。
次に東方の意図がわからず、彼の表情を窺う。
東方は、普段通りの笑みを浮かべていた。
「胃薬だ。今日の昼飯食ったら必ず飲めよ。お前粉薬飲めないから、カプセルに入れた。絶対飲めよ、いいな!」
最後のほうの言葉に始業のチャイムが重なる。聞き返す間もなく、東方は自分の教室の方へ踵を返してしまっている。一度振り返り、
「あ、誕生日おめでとう」
律義に、捨てぜりふのようにそう言い置いて行ってしまった。
疑問符だらけの頭でもう一度反芻してみる。
えーと、これは胃薬で、昼のあとに飲めって?
やはり、意味はわからないが、確かに東方は胃薬を常用してるし(ああ見えてけっこう繊細なのだ)口に入れるもので悪戯をするような奴じゃない。
わざわざカプセルに入れてくれたみたいだし、東方がああ言うなら飲もうかと思う。
そして、粉薬をカプセルに入れている東方を想像する。あいつは手先が器用だからきっと手際よく作業をしたのだろう。
その光景をすぐに思い浮かべることができる。
逆に、逆立ちしてもそんな様子を想像できないのが千石だ。
あいつに細かい作業は向いてない。決して不器用なわけではないのだが、落ち着きがない上に、移り気だ。
できないわけではない、向いてないのだ。
そこまで考えて、そういえば、と思い出す。
今日は千石の姿を見ていない。毎朝毎朝、煩いくらいにまとわりついてくるのに。
とくに深くは考えず、たまには静かな朝もいいもんだな、などとのんきに思っていた。

昼休み、持参した弁当をたいらげ、一息つく。今日はなんだか静かな日だ。
一緒に昼を食べた友人にその原因を指摘される。
曰く、「今日、千石は?」
もちろん、人に言われるまでもなく気づいてはいた。あれだけいつも賑やかな奴が今日は一度も姿を見せないのだ。
それは、不気味な不自然さがある。
嵐の前の静けさ……そんな言葉が不意に頭をよぎるが、敢えて振り払う。
とても不吉な響きを孕んだ言葉だ。そんなわけはないと、希望的観測の元、己の杞憂を打ち消し無理矢理思考を転換する。
朝、東方から託された箱を手に、席を立つ。
言われたとおり、薬を飲もうと水飲み場へ移動する。
しかし、やはりというべきか、杞憂に終わってくれるわけがなかった。相手はあの千石だ。

パタパタパタパタ……
背後から軽い足取りで嵐がやってきた。

「みーなみっ!」
カプセルを飲み込む瞬間、ドン!と背中に衝撃を受けた。
半分飲み込んだカプセルが逆流しそうになる。
苦しい!
苦しいが、最悪の事態だけは避けようと、必死で飲み込む。
おかげで物凄く痛かった。一瞬息が止まった。
口でカプセルが少し溶けたのか、舌の上がにがい。最悪だ。
なんだって、こいつは、こうも最悪なタイミングでやってくるのか。
振り返り、未だ背中に張りついているオレンジ頭を睨む。
「あれー?南、泣いてるの?なに、どうしたの?あ!オレがいなくてそんなにさびしかった?」
なぜか嬉しそうに言葉を弾ませる。
そりゃ息が止まれば、涙だってでる。
「おまえなあ!いきなり飛びつくなよ!お年寄りだったら亡くなるぞ?」
「えー。伴爺なんかに飛びつかないよ!南だから飛びつくんじゃん!」
さも心外そうに言う。
正論のように堂々と言い返され、次の言葉が見つからず黙っていると、目の前のオレンジの嵐が動いた。
「そんなことより!はい、これ。誕生日おめでとう!!」
手渡されたのは、映画のチケット?しかも2枚?
渡したそばから千石が1枚さらう。
「今日!部活休むって言ってきたから!一緒に映画ね!!」
「は?」
咄嗟に把握できず、聞き返すが無視された。
「それから今日はウチにお泊りだよ!もうおばさんには言ってあるから!」
いや、会心の笑顔で言われても……。
「はあ!?なんでおまえはそう勝手なことばっかすんだ!つうか、部活は行くぞ!休まないからな!映画なんか今日じゃなくていいだろ」
さっきの笑顔が勝ち誇ったような笑みに変わる。
それを眺めながら、よく表情が変わるよなぁ、などとぼんやり考える。
「そう言うと思った!だから部活を休みにしてきたよ。伴爺にも部員全員にも、もう言っちゃったもんね。だから映画!ほら、南が前に見たいって言ってたやつだよ?」
久しぶりの千石節に呆気にとられる。
「じゃあ放課後迎えにいくからねー」
千石は、底抜けに明るい声を残し、去って行ってしまった。

まさに台風一過。
残された映画のチケットを片手に、しばし茫然と立ち尽くす。
いくら夏の初めといっても、まだ梅雨明けもしていない。
嵐には時期が早くはないですか、神様。

つい、居もしない相手に話掛けてしまう。そんなもの信じてないのに。
ああいうのは気の持ちようだろう、いると思えばいるし、いないと思えばいない。
神様なんて都合のいい存在、いるわけがない。いてもらっては困る。
仮に居たとしたら、それは確実に悉く千石の味方につくだろう。あいつは、そういう不確かなものを惹きつけることに関しては天才的だ。
あいつ自身そんなもの本気で信じているわけじゃないくせに。
だからそんなもの、絶対に信じない。
ただでさえ厄介なものを増長させる趣味はない。
そういえば、最近授業で習った気がする。人間は極度の困難に対峙すると自己防衛本能が機能するらしい。
今のこの状況がそれかもしれない。こういうパターンは何て言うんだっけ。葛藤とか退行とか習った気がするけど、思い出せない。
要するに、現実逃避なんだよな……。
思考を午後の予鈴のチャイムに遮られ、仕方がないので、教室に戻った。

席につき段々落ち着いてくると、今更ながら千石の行動に腹が立ってくる。
普段、怒り慣れないものだから、怒りの初速が鈍いのだ。
最近は千石も比較的おとなしくしていたから油断もあった。
部活を休みにした?何考えてんだ、あいつ。ったく、伴爺は千石に甘いよな。
でも、一度部員全員に連絡した後に、取り消すのはもう無理だろうし、結局千石の思惑通りに全てが進むのか。
くそ。ほんとに何考えてんだ。
イライラしていたが、午後の退屈な授業と昼に飲んだ薬が効いてきたのだろう、強烈な眠気に襲われる。
このまま寝てしまうというのは、とてもいい解決方法のように思えた。それとも、これもまた、現実逃避なのか。
それならそれでもかまわない、今必要なのは自己防衛だ。
こうなると、東方の胃薬は絶大な効用を発揮する。持つべきものは手先の器用な親友だな、などと思いながら、意識を手放した。


「……なみ、みーなーみってば!あと3秒で起きないと、実力行使にでるよ?さーん・・」
次に意識を取り戻したのは、不吉なカウントダウンの真っ最中だった。
気づくと、ホームルームもすっかり終わり、目の前で、千石が笑っていた。
教室に残っている生徒も少なく、その数も順調に減っていく。
「なんだ、起きちゃったの?ま、いっか。遅いよ!南、早く支度して!」
起きてみると、コンディションはとてもいい。寝る前のイライラもすっかり解消されていた。怒りの持続性も足りないのだ。
それでも、一応不満は述べておく。
「おまえなあ、俺の誕生日だろ?なんで俺がおまえのわがままにつきあわなきゃいけないんだよ?」
千石は真顔で答える。
「それで、いいんだよ。今日はオレが南を独り占めする日なんだから!」
さっぱり意味不明な千石の受け答えに、眉を寄せる。
「はあ?」
「オレは、南がほんとに欲しいものなら、それがなんでも、必ず手に入れて南にあげるよ。それが、コロッケでも、おにぎりでも、トムヤンクンでも」
真顔のまま不意にそう言い放つ。
「でも、あ、だから、かな。南は絶対に、ほんとに欲しいものは、オレに言わないでしょう?」
目を覗きこまれ、少し怯む。
トムヤンクンは室町の好物だろう……そんな見当はずれのことを考えてる間に、もう一度千石が口を開く。
「だから、決めたの。今日は、オレが南を独占できる日。オレが南をもらった記念日だから」
発想の飛躍というか、論理の構造についていけない。そんなの、今に始まったことじゃないけど。
もうなんでもいいやと、諦めの境地に至る。
「でも、いちお、遠慮したでしょ?午前は他の奴に譲った」
千石にしては殊勝な言葉のあと、少し、眼が揺れた。
「オレは、すごい我慢したんだ。きっとオレがいなくたって、南の半日は何の支障もなく過ぎただろうけど」
そんな微細な表情の揺れを見逃せず、ほだされてしまう。
誰が千石に一番甘いのか、思い知らされてしまう。
それが悔しくて、口をついて出るのは、憎まれ口。

「半日くらいならな」

言ってしまってから、ぜんぜん憎まれ口になっていないことに気づく。
その言葉に含まれた無意識の意味を探れないほど、鈍い男ではない。
しまった、と赤くなったことでさらに墓穴を掘り、恥ずかしさのあまり目を逸らす。
そのうつむいた頬に、何かが掠める。
びっくりして顔を上げると、今度は満面の笑みの千石に出会う。
「南、大好き!!」
そう言って飛びついてくるのを、またも阻めなかった。
唯一の救いは、あわてて見回した教室にもう人影がなかったことくらいか。
さらに赤くなっているだろう顔と上がりっぱなしの心拍数をどうにかごまかそうと大きな声をだす。
「もう、わかったから離れてくれ!映画行くんだろ?準備するから」
離れ際、今度は唇に柔らかい感触が掠める。

「南、誕生日おめでとう!!」




HAPPY BIRTHDAY!! dear 南健太郎
2003-07-03








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うかつ・天然・無意識
千南に於ける南の個人的イメージ