浴衣着て行くから、浴衣着て待っててネ!

呼び止めるよりも先に、姿を消したオレンジ頭の残像を見送る。
こういうときの千石の逃げ足は、飛び抜けている。
空を切った行き場のない腕を仕方なく下ろした。

一方的な押しつけを無視したところで、こちらには全く非はないはずだが、
それを無下にできない己の性分を心底恨んだ。

南は、帰宅すると、浴衣に着替えて、千石が来るのを待っていた。
こんなことだから、いつも千石につけ込まれるのだということはわかっていたが、着替えてしまってからそんなことを言っても仕方がないので、洋服よりは精神的に涼しい浴衣を前向きに堪能することにした。

チャイムが鳴って玄関へ出ると、言い置き通り、浴衣を着流した千石が立っていた。
「はい、コレお土産!」
そう言って差し出したのは、綺麗に赤く生ったほおずきの鉢植え。
千石は、母親がほおずき市に行ったのだ、と言いながら南よりも先に家に上がり込む。
「おじゃましまーす!」
案内もしないのに勝手に家人へ挨拶を済ませ、勝手に縁側へ陣取った。

それもいつものことで、いまではそうされたほうが変わりのない日常で安心してしまう。
南は、冷えた麦茶を用意してから千石に倣い縁側に腰を掛ける。
見ると、千石は何か懸命に手を動かしていた。
気になって覗き込めば、さっきの鉢植えから一つもいだのだろう、ほおずきを弄っていた。
すぐに千石のやりたいことが分かって、黙って見ていることにした。
袋から実を出し、よく揉んでから芯を抜き、中の種を取り除く。
作業を終えると、千石はそのまま口に入れた。
南は慌てて、口を出す。
「わっ!おい!洗ってからにしろよ!!」
いくら道ばたから取ったものじゃなくても、口に入れるものは気を付けた方がいい。
けれど、千石は南の言うことなど聞いていないように、口をモゴモゴと動かす。
「聞いてるのか!?」
答えず、千石は器用に舌を使って、ぎうぎう、とほおずきを鳴らす。
とても懐かしい音がした。
そこで南は諦めた。
言わずとも、千石の悪運の強さは知っている。
この場合、運の良し悪しの問題ではないと思うが、そこを運で乗り切るのが千石だ。

千石は、ふと口を動かすのをやめて、思い出したように口を開く。
「今日って、四万六千日っていうんだって」
「四万六千……?」
「そう。今日お参りすると、46000日分のご利益があるらしいよ。なんだろうね、この気の遠くなるような数字」
「ふうん」
南はもう一度、しまんろくせん、と呟いてみる。単純計算でも、100年以上…?
宗教に興味はないし、信仰心も露ほどもないから、ピンとこないだけなのか。
46000日分のご利益は、46000日お参りした人だけが手に入れられるものじゃないのだろうか。
南は、正直な感想をもらす。
「そんなのにありがたみがあるのか?」
千石は、目を見開いてこちらを見たかと思うと、急に大きな声を出す。
「そうかあ!」
それから、笑い出した。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「いや、南らしいと思って。オレなんか、46000日分のご利益が貰えるなら、ラッキーだと思っちゃうけど」
千石の言葉に刺はなかったけれど、なんとなく卑屈に捉えてしまう。
「悪かったな、貧乏性で」
「なに言ってんの、それが南じゃん!そういうところ好きだよ、地味で」
千石は真顔で言うから、あながち冗談にも聞こえない。
「……地味って言うな」
南はとりあえず、一番気になったところだけ、訂正してみた。

千石が再びほおずきを鳴らす。
浴衣を着てほおずきを鳴らす絵は、とても風流だった。

縁側には西日が射し、一面を朱く染めていた。
朱い視界の中、千石の持ってきたほおずきが一際、夏の赤を彩っている。
鉢植えから視線を戻すと、千石の髪の橙が、空の朱に溶けてしまいそうで、不意に心許なくなる。
南は、早く夜になればいいと、そう思った。




2004-07-10






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7/10は、四万六千日の功徳日だそうです。浅草寺でほおずき市が開かれます。
恐ろしい浴衣萌えのお裾分けをいただいたので、突発で書きました。
浴衣萌の話だったはずなのに、なんか脱線して、最後に読み返したら、全然浴衣出てきてなくて自分で笑った。
慌てて一文足しました。付け焼き刃。