「南ー」
部活の帰り道、呼ばれて振り返る。
千石が右の指でつまんだ500円玉を見せていた。
「いい?いくよー!」
何がいいのか理解もできず、答えてもいないのに、一方的に事態は進んでいく。
よくあることだ。
今日は珍しく探しに行く前にうちのエースはコートに居て、アップから片付けまでサボることなく部活に参加した。
何故だかわからないが、こうも千石に手が掛からなければ、普段の疲労が半減するということが身を持って証明され、我ながらいま機嫌が良かった。
これくらの千石の遊びなら付き合ってもいいという心の余裕がある。
口を挟まずに、大人しく成り行きを見守った。

千石がピンっと弾いた硬貨は、綺麗なスピンがかかって宙を舞う。
日暮れが近く夕闇迫るこの時間、小さなコインは少し見にくかったが、まったく見えないという程でもなかった。
当然、次は裏か表かと問われるのだろうと見越して、完全に見極めることは難しかったが、それでも動きを目で追う努力はした。
それにしても随分と高く上げたものだ。
落ちてくるのに時間がかかる。
首をほぼ真上に向けて一点集中していた視界に、唐突に下から素早く何かが割り込んだ。
次の瞬間、じっと見つめていた対象を見失ってしまった。
慌てて首を元に戻す。

正面に、満面で笑う千石が居た。
「はい!どっちだ?」
笑顔の千石は、拳を作った両の手を無邪気に突き出している。
「え?」
予想外の設問に、俄かにはついていけず、混乱する。
このゲーム展開なら、放った意味がわからない。
「当たったらコロッケおごってあげる」
「マジで?」
その一言で、細かいことはどうでもよくなり、俄然やる気が出た。
だが、意表を突かれて一瞬目にしたはずの千石の手がどっちだったのか、まったく自信がない。
どちらかと言えば、右手のような気もしたが、その後完全に見失ったので、その間に持ち替えられた可能性もある。
いまさら考えたところで埒があかないのはよく分かっていた。
どっちにしろ、二分の一の確率なのだから、ここはもうカンしかないだろう。

「よし……右!」

指を差して答えを出せば、千石がゆっくりと右の拳を開く。

「よっしゃあ!」
開かれた右の掌の上には、500円玉が乗っていた。
「あーあ、オレの負け」
そう言いながら、千石はちっとも悔しそうじゃない。
「コロッケ500円分ね」
相変わらずニコニコと笑ってる。
何がしたいんだ?こいつ。
「はあ?そんなにはいらねーよ」
よく行く商店街の肉屋のコロッケは、ひとつ100円もしない。
「なんで、いいじゃん!おごるって言ってるんだから」

「んなとこ欲張ったって仕方ないだろ」
「そういうとこ欲張らなくてどうするの」

千石と声が重なって、けれどお互いの言い分は、不思議なほどクリアに響いた。
こうも正反対なのがなんだか可笑しくて、声を出して笑う。
「ふ!あははははははは!」
「笑い事じゃないよ!コロッケ6個くらい受け取りなよ!」
千石は、さっきまで上機嫌に笑ってたのに、急に癇癪を起こす。子供か。
「なんでそんなにおごりたいんだよ、変なヤツ」
「なんでって……」
呟いた千石は黙り込んでしまう。
「わかった、おまえと東方と俺で、3つ買えばいいだろ」
「なんでオレが東方におごんなきゃなんないの!」
「はあ?同じだろ?」
「全然ちがう!」
「そうか?じゃあ、俺に2個買ってくれよ」
「東方にあげる気なんでしょ」
「そりゃそうだろ」

「南、俺は自分で買うから気にするな、お前は2つもらえよ。ゲームに勝ったんだろ」
このままじゃ収集がつかないと賢明に判断した東方が、それまでの沈黙を破り、話をまとめる。
確かに、このままではいつまで経ってもコロッケにありつけない。
「じゃあ2個、遠慮無く。ありがとな、千石」
「……どういたしまして」
千石は、まだ納得いかないという顔で、けれどそれ以上何も言わなかった。
その表情が少し気になったが、千石のわけのわからない行動はいつものことで。
まず、目先のコロッケだ。
食べながら聞けばいいかと、商店街へと軽い足取りで歩き出す。








Happy Birthday!! dear 南健太郎
2008-07-03





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いまさら、やりつくされたであろう放課後コロッケネタを思い出したように













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商店街を目指して歩く南の少し後ろを千石と東方が歩く。

「千石、左手開けてみろ」

東方にそう言われて、千石はずっと握っていた左の拳を開いた。
そこには、右と同じように、500円玉がある。

「お前も必死だな」
笑うでもなく呆れるでもなく、ただ真顔で東方が言う。
「必死だよ、悪い?」
答える千石も、ただ真顔。
「だって南は、おごるって言ったって、絶対断るんだよ。ゲームの景品にでもしなきゃ大人しくおごられてなんかくれないんだから」
しかも賭を成立させるためには、南に本気になってもらえるゲームでなければならない。

東方が、オレンジの頭にポンと手をおく。
「いや、悪くない、がんばれ」
「言われなくても」
ニイッと不敵に笑う千石が跳ねるように駆けて、南の背中に飛びついた。
「うお!?」
「南!もう暗くなっちゃう、急ごう!」
「わかったから、引っぱんな!」
南の手を引いて歩く千石と、彼の手を振り解くことはしない南の背中を見守りながら、東方はのんびりと歩いた。