伴爺、懺悔します。
それでも最初から負ける気なんてさらさらなかったんだ。
ただ、何かを賭けた時のあいつの勝負強さをうっかり失念してただけで。
一週間捕まらなかったヤツがひょっこり来たから、つい口車に乗ってしまった。
本当に反省しています、
二度と千石と賭け試合なんかするものか。
勝った方の願いをひとつ叶えるという条件のワンセットマッチ。
コードボールが自分のコートに落ちたところで勝敗がついた。
審判の宣告が虚しく響く。
「ウォンバイ千石!」
どんな過酷な罰ゲームが言い渡されるのかと戦々恐々と身構える。
千石は、向かいのコートでラッキーィ!と指を鳴らした。
ラッキーだけで負けてたまるか、うちのエースにはもう少し自覚を持ってもらわないと困る。
こんなふうに負けた直後に言ってやるのは悔しいから、言わないけど。
ネットまで走り寄った千石は、躊躇なく勝者の権利を振りかざす。
「ケーキ焼いて!南!」
短時間でシミュレートしたどのパターンとも違うその「願い」に一拍理解が遅れる。
「はあ?」
「ケーキ!ケーキ!手作りケーキ!」
うるさいくらいに千石が繰り返す単語は、どうやら聞き間違いではないらしい。
意表を突かれた上に、想像していた罰ゲームよりも難易度が高い気がする。
まずは率直に一言。
「できねえよ」
「だいじょぶ!だいじょぶ!道具も本もうちにあるし!」
心許ない根拠の「大丈夫」ほど宛にならないものはない。
「材料だってエプロンだって揃えとくから、南はうちに来てレシピ通り作ってくれればいいだけだよ!」
「そういう問題じゃない!」
「今度の日曜だからね!絶対だよ!」
俺の言い分は意図的に無視され、一方的に週末の予定は決定された。
まあ、いつものことだけど。
「日曜……」
反射的に頭の中にカレンダーを思い描いて弾き出された日付に、ふと、正答に思い至る。
「南わかった?約束だからね」
一度、大きく息を吐き出す。
「ああ……わかった、……負けたしな」
おつかれさん、と東方が寄越してくれたタオルを受け取る。
「サンキュー」
「いまエプロンとか言ってなかったか?」
「え?」
東方の口から出た唐突な単語に、何の話かすぐには分からず、少し考えて、さっき千石に言われたことを思い出す。
「……ああ、言ってたな」
それがどうかしたのかと見上げれば、東方は何かを言いにくそうに苦笑した。
「なに?」
「それが罰ゲームとかじゃないのか?」
「えっ」
その発想はなかったが、言われてみると、説得力のある指摘のように聞こえて一気に血の気が引いた。
確かに、もしもフリル付きのエプロンなんかが用意されてていたりしたら、それは罰ゲーム以外の何物でもない。
「そんなこと、」
ない、とすぐに断言できない前科が千石には山程あった。
「……ないよな?」
きっと縋るようになってしまっただろう視線の先で、東方はそれ以上何も言わず、ただ困ったように笑うだけだった。
「南ぃ!」
コートの向こうから、千石の上機嫌な声に呼ばれて、東方から目を離す。
「もっかいやる?リベンジのチャンスあげるよ?」
「やらない!!」
ニヤニヤと笑う千石の表情も癪に触ったし、やる前から負ける気だってなかったが、一時の感情に任せた結果これ以上状況が悪くなる可能性が頭を過ぎったせいで冷静な即答を返せた。
さっき伴爺にも誓ったとこだし。
そして、迎えた日曜日。
一度した約束を違えるわけにもいかないし、気が進まないながらも千石の家に辿り着くと、呼び鈴を押す前にドアが開いた。
「いらっしゃーい!入って入って!」
今日も底抜けに明るいオレンジ頭はテンションが高い。
「……おじゃまします」
キッチンに通されると、机の上には万全の準備がしてあった。
「これが材料で、これが道具、はい、これ本ね!これ食べたい!」
ふと見ると、道具と言われた一群の端に、キレイに畳まれたエプロンがある。
身構えていた自分がバカみたいに思えるほど呆気なくごく普通のシンプルなエプロンだ。
「南?どうかした?これね!」
机の上を凝視して立ち尽くしていると、首を傾げた千石が広げたページを指さして本を目の前にずいっと差し出した。
「……ああ、いやなんでもない。わかった。お前はどうするんだ?」
「オレはここで見てるよ、勝者の権利ってね!あ、でも手伝うことがあったら言ってね!それはそれで楽しそう!」
ニコニコと心底楽しげな千石は、ちゃっかり食卓の椅子に陣取った。
千石がそこまでケーキ好きだとは知らなかった。
千石の選んだケーキは、いわゆる一般的なショートケーキで、工程の大半はスポンジを焼くことに費やされた。
慣れない作業だったが、千石の用意した本は初心者向けのものらしく、すごくわかりやすく書かれていた。
スポンジを二つ焼き、あら熱を取ってから冷蔵庫でしばらく冷やす。
そのあいだにデコレーションの用意をした。
冷蔵庫からスポンジを出すと、オレもやりたい!と言い出した千石と、一緒にスポンジにクリームとフルーツを乗せていく。
「ほら、できたぞ」
我ながらそこそこ見られるものが出来上がったことに驚いた。
「わーい!ありがとう!さっすが南」
丸いケーキを大きめに切り分けて、千石の前に出す。
「すごいな、ほんとにはじめて?おいしそー!」
「あの本わかりやすかったからな」
「そ?なら良かった!」
ひとくち口に入れた千石が、顔を上げて笑う。
「やっぱりね!」
「なにがやっぱりだ?」
「南ってケーキ作りに向いてると思ったんだよね」
「は?」
「普通の料理と違って、お菓子作りって、基本的に計量と手順が絶対なんだって」
「ふうん?」
「そういうの、南得意でしょ」
「そうか?」
「そうだよ。手抜きしないし、マニュアルは絶対遵守するじゃん」
「……誉め言葉と取っておく」
「めっちゃ誉めてるよ!オレには絶対ムリだもん。これおいしいよ!」
「ありが……あっ!」
「むぐ、なに、どうしたの」
「あ、悪い。いや、思い出したんだ」
「なにを?」
口にフォークを運びながら、千石が訊く。
「誕生日、おめでとう」
「ぐえっほ!えっほ!げっほ!」
千石が急に噎せた。口に入れたケーキに何か問題があったかと不安になる。
「おい、大丈夫か!?」
慌てて出した水を千石はぐいっと飲み干した。
「……なに、知ってたの?」
千石にしては随分と弱々しい声を出す。誕生日のことだよな、と話の流れを思い返し、判断した。
「お前去年散々言ってただろ、あれで覚えるなっていうほうが難しい」
「ええー……オレかっこわるい」
「は?」
相変わらず、千石の思考回路は理解に難い。
「だって……あーーーっ!かっこわる過ぎる!!」
なんだかよく分からないが、頭を抱えてしまった千石に掛ける言葉を探す。
「安心しろ、お前がかっこいいのなんてテニスしてるときくらいだぞ」
「……南」
机に突っ伏すようにしていた頭を少しだけ上げて千石がこっちを見た。
「ん?」
「それ慰めてるつもり?」
「めっちゃ慰めてるぞ?」
「あー、悔しい!!」
ガバリと起きあがった千石が大声を出すから、驚いてビクっと肩が揺れた。
それから、視線を落として彼はぼそりと呟いた。
「……元気出た」
次に顔を上げたとき、千石はすっかりいつものペースを取り戻していた。
「ねえ、もっかい言って!」
「なにを?」
「おめでとうって」
目を覗き込まれて改めて催促されると、どうも気恥ずかしい。
「……誕生日おめでとう」
無意識に視線を逸らしてしまった。
「ありがとう、南!」
逸らしてしまったことに気付いてすぐにチラリと見れば、千石がひどく幸せそうに笑うから、もっときちんと目を見て言えば良かったと、反省した。
「おめでとうな!」
今度こそちゃんと千石の目を見て伝える。
「え?うん、ありがとう!」
戸惑ったようにそう応えて、やはり千石は笑った。
HAPPY BIRTHDAY!! dear 千石清純
2009-11-25
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11/25が日曜だった年に書こうと思って書き始めた話です(笑)
今回改めて調べたら、2007年だった…とろいにも程がある。
同じように、随分前に書き始めてほったらかしてるのと、今年書きそびれた南誕ネタがあります。ら、来年こそ!