「弦一郎、お前もそろそろメールを使いこなせるようにならんとな」
「む。急になんだ」
「せっかく携帯電話を持っているんだ。道具は、使いこなしてこそだろう」
「そうか?あまり必要を感じないのだが」
「精一もそう言っていたぞ」
「幸村が?」
「ああ、何事も極めなければならないと」
「そうか」
「俺が教えてやろう。明日家に寄るから、説明書を用意しておけ」
「ああ、わかった。頼む」


それが昨日の会話。
真田は、その会話の矛盾点に気付かない。
携帯電話を持っていない柳が携帯電話の操作などできるわけがなかった。例え持っていたとしても、機種により操作方法は結構違う。
元々デジタルよりもアナログ派の柳は、機械に強くもなかった。
もちろん柳が真田を誘導したのには、理由がある。

真田の部屋に通された柳は、畳の上で胡座をかき、用意されていた説明書に一通り目を通した。
実は、これが今回の一番の目的だった。
説明書を片手に、真田の携帯電話をいじりながら、操作を確かめていく。
それを繰り返し、基本的なことは理解した。
この時点で柳は、今日の課題の八割をクリアした。

柳は、真田を呼ぶ。
「弦一郎。いいか、このボタンを押すとメールボックスが開く。メールボックスというのは、送ったメールと受け取ったメールが保管される場所だ」
何に於いても真田のレベルを熟知しているという点で、柳は真田にものを教えることに向いていた。
真田は、柳の指示通りに、ボタンを押し携帯を操作する。
「数字の横に文字があるだろう?1を押せばアが出る」
「おお」
真田は、ぎこちなくボタンを押してみせた。
「弦一郎、人差し指ではなく、親指を使ってみろ。その方が押しやすいだろう」
「ほう、そうか」
真田は、柳の指示を忠実に実行する。
「1を一回押せば、アで二回押せばイだ。1がア行で2がカ行というような仕組みになっている。複雑ではないだろう?」
「……うむ」
「弦一郎、分からないときは、分からないと言え」
「分からないのではない、考えているのだ。ちょっと待て」
「はいはい」
柳は、何を考えることがあるのか、と思うが、大人しく真田が音を上げるまで待つ。
「じゃあ、練習に自分の名前を打ってみろ」
「わかった」
しばらく一人で携帯をいじっていた真田がふと顔を上げる。
「蓮二、濁点はどうすればいいんだ?」
ア音の文字を三つ打つのにどうすればこれだけ時間がかかるのか。
普通の人ならそう思うだろうが、柳にしてみれば、真田にしては的を射た質問だということの方に感心した。
「いい質問じゃないか。この左下のボタンに濁点と半濁点が書いてあるだう?濁点を付けたい文字を打ってから、それを押してみろ。濁点は一回、半濁点は二回だ」
「ふむ……。ほう、なるほど」
真田は、教えられたことを試し、確かめて納得する。
「よし!打てたぞ、蓮二!」
柳がディスプレイを覗き込むと、確かにそこには「さなだげんいちろう」と表示されていた。
どこか誇らしげな真田に、ここでこれ以上のことを教え込むのは、効率が悪いだろう、と考える。ひとつできたら次を詰め込むのではなく、できたことを誉めて伸ばす方が覚えが早い。
柳はそう判断し、漢字変換を教えるのは、次の機会にすることにした。次の機会があれば、だが。
「上出来だな。では、続けてテニス部レギュラーの名前を全員打ってみろ」
「おう」
真田は上機嫌に返事をし、再び携帯と向かい合う。
柳は、時間がかかるだろうことを予測して、持参した本を開いた。

「蓮二、セイイチが、打てん…」
柳が本を開いてから、三十分ほどが経過していた。
さっきから、それまで絶え間なく続いていたカチャカチャという、ボタン操作音が途切れていることには気付いていた。
真田が躓いているであろう原因の見当もついていた。
しかし、こちらから助け船を出すようなことはしない。問題認識は、本人にさせないと意味がない。
「イを続けて打とうとすると、ウになるのだが」
真田は、柳の予想と寸分違わぬ問いを口にする。
柳は、教えていないことは、きっちりできない真田の律儀さに少し笑う。それは馬鹿にした笑いではなく、微笑ましいという部類に入る笑いだった。真田が真田であって嬉しかった。
ディスプレイから目を離さずに、質問をする真田は、柳の静かな笑みに気付かない。
「ここに矢印のようなものがあるだろう?これを押すと、文字を打つ場所を変えられる。同じ行の文字を続けて打つ場合には、右の矢印を押して、次に文字を打つ場所を変えるんだ」
真田の手の中にある携帯のボタンを指さしながら、柳は、丁寧に説明をする。
それから、横から手を伸ばし、実際に打って見せた。
「いいか、例えば、アイウエオと打つときは、一文字打つごとに一々矢印でずらしていくんだ。セイイチなら、セイと打って矢印の右を押してから、もう一度イだ」
「ほほう……」
柳は、一度打った文字を消して、真田に携帯を返す。
真田は、柳がわざと余分に消した「ゆきむら」から打ち直す。最後に、いま教えられた通りに「せいいち」と打って、与えられた課題をクリアした。
「できたぞ!」
真田からの報告を受けて、柳は次の指示を出す。
「弦一郎、喉が渇いた」
「ん?ああ、いま何か持ってこよう」
そう言って部屋から出て行った真田を見送り、柳は、畳の上に置かれた携帯を手に取った。

柳は、機械に強くはないが、理解力は高い。
勘で正確に扱うことはできないが、説明書を読めばできないことはない。
限られた時間内での任務遂行のため、手早く操作をこなす。
まず、手帳に書き留めてあるアドレスを打ち込む。
それから本文を短くまとめて打った。
送信ボタンを押し、送信完了の画面を確かめる。

これで柳は、今日の課題の残り一割をこなしたことになる。
最後の一割の仕上げは真田次第だったが、このままいけば、きっとうまくいくだろう。
あとは、真田が帰ってきたら、メールの返信の仕方を教えればいい。

そう思っている間に、真田の携帯電話が着信を告げた。
ずいぶんと早い返事だと思いつつ、知らんぷりを決め込む。
この携帯のメールアドレスを知っているのは、いまのところ一人だけのはずだから、間違いなく彼からの返信だろう。
間違いメールだと、真田に言って、ちょうどいいからと、返信を宿題にして帰ろう。


柳は、考える。

明日には、電話がかかってくるだろう。
「よくもやってくれたな」
と彼は言う。
彼は、受話器を左手に持ち、あいた右手にはペンを持ち、目的もなくメモを取るのだ。
本当はメモを取ることにさほど意味はない。癖のようなものだ。
けれど、メモを取らなければ、落ち着かないのだ。癖よりも病に近いかも知れない。

「騙されただろう」
と俺は言う。
「まんまと騙されたよ」
と君は言う。
「手の込んだイタズラをしてくれたな」
と君は言う。

「いつでもお前のことを考えているんだ」
と俺が言ったら、
君はなんと答えるだろうか。

そんなことは言わないから、その答えはきっとずっとわからないままだ。





April fool side Y
2005-05-21
HAPPY BIRTHDAY!! dear 真田弦一郎











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こんなくだらないのをだらだらと長くスミマセン……
ただ、「柳はどんなに手間をかけてもどんだけ遠回しにでも乾を構いたいんだよ!」ってことを書きたかっただけなんです…。(1行で終わるじゃん……)