蓮二は、電話が好きじゃない。
それを承知の上で、無理を言った自覚はしていた。

俺は毎日でも話したいのに、いつかそう零したら、蓮二はあからさまに顔を顰めた。
「お前の性分は、執拗に過ぎる」
「せめて、しつこいくらいに留めておけない?」
言葉の意味は同じだが、ニュアンスというのは大事だと思う。
「図々しい」
容赦のない一刀両断にもめげず、粘って粘って(あ、この辺が執拗なのか)一週間に一回電話でいいから話そうという約束を取り付けた。
俺が言い出したのだから毎回こちらからかけるべきなのに、変なところ律儀というか貸し借りを嫌う蓮二が平等に毎週交互と決めた。

電話というのは、たいてい突然かかってくるものだが、かかってくることが分かっている電話を待つことがこんなに楽しいとは知らなかった。
今日が約束の日で、今週は蓮二の番だ。
待っている間は何をしても手につかないことは学習済みだから、電話を抱いて横になり目を瞑る。

電話が鳴るまで、あと二分と四十八秒。
蓮二は毎回、判を押すように決まった時間に電話をくれる。

あと一分二十七秒。
決まった時間から一秒だって早くも遅くもない。
その形式美にも似た美しさが心地よい。

あと十三秒。
上体を起こし、手の中の小さな機械を見つめる。
液晶のデジタル時計が示す四桁全てが違う数字に変わった瞬間、待ち望んだ着信ライトが光る。
着信音が鳴るか鳴らないかのタイミングで電源ボタンに乗せていた親指に力を入れた。

「もしもし!蓮二?」
「貞治、」
「……どちら様ですか?」
いや、蓮二だ。そんなことは分かっている。問題なのは、
「やあ元気か」
相変わらず蓮二の冗談は笑えない。
「元気だよ、俺は!どうしたの、その声!」
電話越しの彼の声は、別人かと思うほど嗄れていた。
「大したことはない」
ケロリと言うが、とてもじゃないけれど大したことのない症状には思えない。
確かに今ちょうど季節の変わり目で、体調を崩している者が多かった。
「無理してまで電話くれなくても良かったのに」
さっきまで今か今かと心待ちにしていた自分を棚に上げて正論を張る。
「俺がお前と話したかったんだ」
嗄れて掠れて一段と低くなった声が、嘘を吐く。
そんなわけないのに、蓮二はこんな時ばかりそんなことを言う。
「どんな話?」
「そうだな、天候について」
「それ典型的に話題に困ってるじゃないか」
それでも、彼が約束を違えなかったことが単純に嬉しかった。
「電話かけてくれてありがとう、お大事に」
「なんだ、もう切る気か?」
「だってこんなくだらない話をしてて悪化させるなんて馬鹿みたいだろう、大人しく寝てなよ」
「お前は元気そうだな」
「そりゃあね、自己管理くらいはきちんとできるさ」
多少の皮肉を込めてそう答えた。
「よし決めた」
唐突に蓮二が言う。とても嫌な予感がした。
「……なに」
「明日そちらに行こう」
高熱で朦朧としているのだろうか、珍しくまったく整合性のない話の流れに呆気にとられる。
「ねえ、俺の話聞いてる?大人しく寝てなってば。治るものも治らないじゃないか」
何故そうなるのかわからない。
「だいたい何しに…」
「口頭伝承の信憑性を確かめるために」
「ちょっ!どんな嫌がらせ!?」
何よりも本気で心配しているのに、それが欠片も伝わっていないことが悲しかった。
「来たって入れないからね」
「お前にできるのか?久しぶりに訪ねる俺を門前払いに?」
できるわけがない。
既に勝ち誇ったような言い草が気にくわないが、それは圧倒的に正しい分析だ。
「蓮二、ずるいよ」
「弱みは付け込むものだ」
弱みと彼が断言するそれを相応しく修飾する言葉からは意図的に目を逸らした。
「わかったよ、ちゃんと布団用意しておくから、うちで寝ればいいよ」
こうも簡単に折れてしまえば、認めているも同然なのだが。
「でも本当に無理はするなよ」
「言ったろう、俺が貞治と話したいんだ」
さっきは、からかわれているのだと思った言葉を繰り返されて、ハッとする。
体力が落ちている時は心細くなるものだ。もしかすると今の蓮二もそうなのかもしれない。
鬼の霍乱、という言葉が喉元まで出かかって、しかしさすがに口に出すことは憚られた。
弱みに付け込むのは戦略の一種だが、弱っているところに追い打ちをかけるのはただの悪趣味でしかない。
「駅までは迎えに出るから気をつけておいでよ」
「ああ」
「じゃあまた明日」
そう言って通話を終えた。
電源ボタンを押したその手を、つい緩む口元に持っていく。

この夏までの四年間が長かったのか短かったのか、今となってはもうよくわからない。
ただ、もしもそのブランクがなかったとしたら、きっと気付けなかったことが山程ある。
また明日、と電話を切ることのできる幸せを噛み締めた。

もちろん大人しく犠牲になってやるつもりなどない。完全防備で迎えてやるさ。
うつせば治る、などという俗説は、ただの迷信だと教えてやろう。

明日、蓮二がうちに来る。
「ふふ」
我ながら気持ち悪いと思うけれど、相当浮かれていてなかなか顔が元に戻らない。

風邪のうつる距離が嬉しいだなんて、たいがい俺もどうかしている。





2008-06-03/04
Happy Birthday!! dear 乾貞治&柳蓮二
《テニプリ感謝祭参加作品》 62.風の行方







※後日談をオフ本で発行しました。この本文も収録しています。