「ぐああああ。やっと終わったー」
近藤勲は、向かっていた机から顔を上げ思い切り伸びをした。凝り固まった関節が派手な音を立てる。
文机の横には、机の丈を優に超える高さの書類が積まれていた。いま終えた処理済みの束だ。
普段だって決して暇なわけではない。決してないが、ここ最近の忙しさは異常だった。
雲行きが怪しくなったのは、ちょうど月が変わったくらいのタイミングだったところまでは覚えている。
その後はもう日付も数えられぬ程に、次から次へと舞い込む仕事に真選組は文字通り忙殺されていた。
何よりも予定になかった不慮の仕事が奇跡的にあるいは呪いのように、いくつも重なったことが今回の殺人スケジュールの原因だった。
銀行強盗の立て籠もり、攘夷派の小規模テロ、連絡も寄越さず突然訪問した天人要人の護衛任務、迷子の親探し、上司の親娘喧嘩の仲裁、その他雑務を上げればキリがない。
それだけ集中的に仕事をこなせば当然それらに関する書類仕事も山と積まれることになる。
いま漸く敵との死闘をねじ伏せ、勝利を収めたところだった。
やっとあの地獄から解放される。
近藤は誘惑に抗わず、ごろりと畳に横になる。身体中の力を抜き、完全にオーバーワークした脳を守るため本能が最低限以外の機能停止を選んだ。
こんなにリラックスして休めるのは実に久しぶりだった。

ふと、ボスンボスンと襖が音をたてる。
ノックなど珍しいと思いながら、近藤は体勢はそのまま顔だけを部屋の出入り口へと向けた。
「どーぞ」
「近藤さん、片付きましたか?」
静かに開いた襖の向こうからひょこりと覗いた顔に、近藤は表情を緩ませる。
「おー総悟ーちょうどいま終わったとこー」
「そりゃ良かった」
とことこと近づき、斜め上から覗き込む沖田が近藤の口元に手を伸ばした。
「近藤さん、アーン」
近藤は、疑いも躊躇いもせず、パカリと口を開ける。
「あーん」
信頼に裏付けられ無防備に開いた口に、沖田は手に持ったものの包みを素早く解き、二つ慎重に放り込んだ。
体勢のせいで開き気味な気道を潰さないように、近藤の舌に乗せる。普段なら気にしないところだが、今日までの近藤の仕事量を沖田は正確に知っていた。
目の前に横たわる姿を見ても、相当に消耗している。
この弱ったタイミングで気道を塞ごうものなら抵抗する体力もなく死んでしまうのではないかと、沖田に思わせるほどの忙しさだった。
「む?」
近藤が舌に乗った何やら尖った部分のある粒を確認するように舐めると、溶け出したチョコレートの甘さが広がった。
「疲れた時には甘いもんでさ」
ニコリと笑う沖田に、近藤もへらりと笑う。
「はりはと」
口をもごもごさせながら礼を言った。

甘いものが覿面に効いたというわけでもないが、沖田とのやり取りと味覚への刺激に、ほんの少し近藤は現実に立ち戻る。
イレギュラーな仕事の目処は付いたが、普段の業務は当然通常通りだ。
脳の大半はまだ機能していなかったが、思考と言うよりも染みついた癖のように、今日の予定はどうだったか、と考えたところで早くも疑問にぶつかる。
新聞を読む暇さえなく、本当に日付の感覚があやふやになっていた。
「総悟、今日って何日?」
「二月に入ってちょうど二週間です」
「ふうん?」
近藤はぼんやり頷きながら、にしゅうかんて何日だっけ、と考える。弛緩した脳が細かい思考を放棄していた。
答えの出ないうちに沖田が寝転がった近藤の上から再度覗き込んだ。
「近藤さん、このチョコの名前知ってますかい?」
知ってるも何も、近藤はそれを見てさえいない。舌の上で転がしたところで、即答できるほど特徴的な味でもない。
「さあ?」
「耳貸してください」
そう言って近づく沖田に、答えを教えてくれるのだろうと、近藤は大人しく待った。
沖田の整った顔が限界まで近づいて、視界がぼやける。

思いがけず唇に当たった柔らかい感触に、近藤は沖田が触れた先をやっと知る。
今更目を見開いたところで、完全に鈍っていた反射神経が行動を起こすよりも早く、沖田の舌が口内に侵入した。
沖田の舌が口蓋をなぞり、近藤が震える。
舌を思い切り吸われ、まだ残っていたチョコレートを根こそぎ持って行かれた。

気が済んだのか沖田が離れると、どちらのものともつかない唾液が近藤の顎を伝った。
近藤はただぼけっと沖田を見返す。
視線の先で沖田は、与えて攫ったチョコの乗った舌を見せつけるように、べいと出してから仕舞った。
「キスチョコって言うんです」
悪びれもせず澄まして言う沖田の指が近藤の顎を撫で上げ零れた唾液を掬う。
沖田は、駄目押しのようにその指を音をたてて舐めた。
遅まきながら身体の芯を火照らすほどの恥ずかしさが近藤を襲った。
「もっと普通に教えてくんない」












Happy Valentine!!
2009-02-14
猫に鰹節 針鼠





※全国大会配布ペーパー再録